(セ・リーグ、中日3―9巨人、23回戦、巨人13勝10敗、23日、バンテリンD)試合後、今季限りで現役を引退する福留孝介外野手(45)の引退セレモニーが行われた。冒頭で現役生活24年間を振り返る映像や、PL学園高時代の恩師、中村順司氏(76)、2009年のワールド・ベースボール・クラシックをともに戦った日本ハム・稲葉篤紀ゼネラルマネージャー(50)、元ソフトバンク・川崎宗則氏(現BCリーグ栃木、41)、阪神時代に同僚だった藤川球児氏(42)、鳥谷敬氏(41)、糸井嘉男外野手(41)らからのメッセージ映像が「106ビジョン」に流れた。その後はPL学園高の先輩・立浪和義監督(53)、同学年の荒木雅博内野守備走塁コーチ(45)、後輩の大島洋平外野手(36)、大野雄大投手(33)、岡林勇希外野手(20)、そして家族から花束を受け取り、ファンに向けてスピーチを行った。
マウンドでは仲間に囲まれ、胴上げは背番号と同じ9度。記念撮影を行い、場内を一周してファンに最後の別れを告げた。さらに、ここで1999年同期入団の岩瀬仁紀氏(47)、鳥谷氏がサプライズゲストとして登場。2人からも花束を受け取り、ほおを緩めた。「孝介コール」に包まれるなか、盛大なセレモニーは幕を閉じた。
▽福留の引退スピーチは以下の通り。
「まず初めに、きょうこのような引退セレモニーを開いていただきました中日ドラゴンズ球団、そして立浪監督をはじめ、コーチ、選手、裏方のみなさん、そして、最後まで球場に残っていただきました、ファンの皆様、本当にありがとうございます。
小学生のときに串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームに惹かれ、そして、その中にいた立浪監督にあこがれ、プロ野球選手を目指してきました。1998年、星野監督の計らいで、ファン感謝デーに呼んでいただき、後ろにあります、バックスクリーンの扉の所から一人で出てきたとき、その恥ずかしさ、いまでも鮮明に覚えています。その日から僕のプロ野球人生がスタートしました。
24年間、素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者のもと、プレーさせていいただき、その中に佐々木恭介コーチと出会い、『打撃を一から作り直そう』、そういって毎日、バットを振り続け、朝起きるときには自分の手がバットの形をして固まったまま。そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って、初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていける自信を持てたのを思い出します。
その後、リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。しかし、日本一になったときに自分自身、故障でその場所にいられなかった、その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。
その後、海外、阪神タイガースでプレーをさせていただきました。阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで、熱狂的なファンの皆様の声援の中でプレーさせていただき、そして、最後の甲子園球場のときにはライトスタンドから大きな福留コールをいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。
2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう一度このユニホームを着てプレーできたこと、そして、自分の野球人生がスタートしたこの場所で、ファンの皆様の声援に包まれて、ユニホームを脱げる。僕は本当に幸せ者です。
最後に、24年間、戦い続けることのできるこの体で産んで、育ててくれた両親、本当にありがとう。そして、一番近くで応援し、支えてくれた家族。本当にありがとう。
僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンの皆様、これからもドラゴンズへのご声援、よろしくお願いします。
24年間、あたたかいご声援、本当に、本当にありがとうございました」
サンスポ
https://news.yahoo.co.jp/articles/78ea2d3a85c6364b176e391c259456cc97b6ca3e
マウンドでは仲間に囲まれ、胴上げは背番号と同じ9度。記念撮影を行い、場内を一周してファンに最後の別れを告げた。さらに、ここで1999年同期入団の岩瀬仁紀氏(47)、鳥谷氏がサプライズゲストとして登場。2人からも花束を受け取り、ほおを緩めた。「孝介コール」に包まれるなか、盛大なセレモニーは幕を閉じた。
▽福留の引退スピーチは以下の通り。
「まず初めに、きょうこのような引退セレモニーを開いていただきました中日ドラゴンズ球団、そして立浪監督をはじめ、コーチ、選手、裏方のみなさん、そして、最後まで球場に残っていただきました、ファンの皆様、本当にありがとうございます。
小学生のときに串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームに惹かれ、そして、その中にいた立浪監督にあこがれ、プロ野球選手を目指してきました。1998年、星野監督の計らいで、ファン感謝デーに呼んでいただき、後ろにあります、バックスクリーンの扉の所から一人で出てきたとき、その恥ずかしさ、いまでも鮮明に覚えています。その日から僕のプロ野球人生がスタートしました。
24年間、素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者のもと、プレーさせていいただき、その中に佐々木恭介コーチと出会い、『打撃を一から作り直そう』、そういって毎日、バットを振り続け、朝起きるときには自分の手がバットの形をして固まったまま。そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って、初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていける自信を持てたのを思い出します。
その後、リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。しかし、日本一になったときに自分自身、故障でその場所にいられなかった、その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。
その後、海外、阪神タイガースでプレーをさせていただきました。阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで、熱狂的なファンの皆様の声援の中でプレーさせていただき、そして、最後の甲子園球場のときにはライトスタンドから大きな福留コールをいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。
2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう一度このユニホームを着てプレーできたこと、そして、自分の野球人生がスタートしたこの場所で、ファンの皆様の声援に包まれて、ユニホームを脱げる。僕は本当に幸せ者です。
最後に、24年間、戦い続けることのできるこの体で産んで、育ててくれた両親、本当にありがとう。そして、一番近くで応援し、支えてくれた家族。本当にありがとう。
僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンの皆様、これからもドラゴンズへのご声援、よろしくお願いします。
24年間、あたたかいご声援、本当に、本当にありがとうございました」
サンスポ
https://news.yahoo.co.jp/articles/78ea2d3a85c6364b176e391c259456cc97b6ca3e