>>11 数学は数について人類が蓄えてきた知識だ。そして、数についての問題をより簡便に解くための良い道具だ。
よく数研などのはじめ書きの謳い文句で似たような文言を見かける。
確かに、未だ人類が解き得ない難問や高度な問題を解く際には、論理的かつそれまでの常識にとらわれない柔軟な思考が必要になってくる。
だが、論理的な思考、柔軟な発想というのはあくまで個々人の得てきた知識や経験をもとに、
さらに思考し解析し醸成され得た知性や知能と言った能力のことだ。
数学を勉強していれば、数学に携わる者であれば、その能力があって解けるというものではない。
俗に言う「数学の問題を解く」に当たって求められ教えられるものは効率化した手順である。
それでは論理的な思考とやらは会得できない。安易に学校で学ぶ数学の問題で論理的な思考を得られると言うのは間違いだ。
勿論、すうがくは問題解決能力と言うのも間違いだ。
かと言って全く無意味と言う事ではない。問題を解くときの過程を具に理解するとき、
それらの能力についての修練ができたか、あるいは最初からそれらの能力があったと言えるだろう。
だが、それならばどの分野の学問、教科を学んでも同じである。そもそも論理的なとは誤りや矛盾がなく自明な事だ。
事実と異なる矛盾した非自明(意味不明)なことを流布するものを学問とは呼ばないように、
論理的な思考とは確かなものを拠り所として正しく成り立つ思考のことを言う。
学問を学ぶとき、単に事物と手順を覚えただけではそもそも不徳だ、先に述べたように具に正しく理解できるようになってこそなのだ。
むしろ、正しく物事を理解し、正しく思考するために、言語(ここでは必然的に大まかに言って日本語)に堪能であるべきだ。
とは言えもとよりその人間に安定して明瞭な意識があるかどうかここでは議題に上らない。